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2022.7.25

【小説】二十年目の同級生

 二十年ぶりの故郷のベンチに一人座り、私はうなだれていた。
 会社が倒産した。
 創業から目をかけていた開発部長が会社を辞めてから、たった半年後のことだった。
 私は二十年前、七条高校を卒業し、東京の大学に入学した。大学を卒業して、大手ソフトベンダーに入社し、コンピュータの技術者として最先端を歩んでいた。
 五年前、自分の理想とする会社を作りたくて、会社を設立した。技術がちょうど時代の流れにマッチしていたこともあり、会社は成功し、赤坂の一等地に社屋を構えるまでになった。
 やがて社員は千人を超え、私は南青山の高級マンションに住むようになった。時代の寵児として、多くのマスコミにも取材された。
 ところが半年前、生え抜きの開発部長が、大勢の部下を引き連れて会社を去った。過度に結果を求めようとする私のやり方についていけなくなったと、彼は最後に言った。
 中心技術者がいなくなり、会社はとたんに危機に陥った。得意先でもトラブルが続出し、会社は一気に信用を失った。立て直そうと莫大な借金までして、技術者を引き抜いたが、皆口先だけの者ばかりで、なんの解決にもならないどころか、危機的状況に加速がついた。対策を考えているうちに、資金繰りがつかなくなり、会社は倒産し、私は莫大な借金を背負った。
 付き合っていた女性たちは、私に金がなくなることがわかると、いとも簡単に離れていった。マンションにも住めなくなり、埼玉の郊外の薄汚いアパートに引っ越した。借金取りがアパートにまで押しかけるようになり、アパートにも戻れなくなった。
 私は借金取りから逃げ出すようにして、故郷の七条に戻ってきた。
 高校時代、私は七条が大嫌いだった。田舎臭くどんよりとしていて、都会のようなきらびやかさなど微塵もない。大学に入学してから、七条には一度も戻っていなかった。そんな私が七条に戻ったことがいっそうみじめに思える。
 疲れた体を支えながら、私は力なく立ち上がった。せっかくここまで来たのだから、母校にでも行ってみるか。

 七条高校に着くと、グラウンドで高校生たちがサッカーをしていた。みな一心不乱に、目の前のボールを追っている。彼等はまだ人生の厳しさも辛さもなにも知らず、この先に明るい未来が待っていると信じているのだろう。
 高校時代の私も同じだった。東京での生活を夢見て、希望に胸をふくらませ、いつも七条を出ることばかり考えていた。
 ところが東京という大都会は、田舎者の私には厳しかった。高校時代夢見た高層マンションも、いまとなっては傲然と見下すだけの存在になってしまったし、大好きだった都会の喧騒も、いまの私には「借金を返せ」としか聞こえない。
 すでに私の人生は終わった。
 ひっそりと負け犬のようにしっぽを丸めてこそこそ地面を這いずり回るしかない人生。ただ借金だけを返し続ける屈辱的な人生など、私にはとうてい耐えられそうにない。そんな人生になんの楽しみがあろうか。
 残された道はただ一つ。暗澹たる人生を自らの手で幕引きすることだ。それが私に残されたたった一つの自由なのだろう。

 突然後ろから声をかけられた。
 振り返ってみると、きれいな女性がにこやかな笑みを浮かべ、立っていた。
「松尾晃一君でしょ?」
 どこかで見たような笑顔だったが、身覚えのない女性だった。落ち着いた感じなので自分と同世代くらいだろうか。笑顔が上品で、なおかつ可愛らしい感じがする。
 「どなたですか?」と訊ねると、女性は形のよい眉をひそめて怪訝な顔をした。
「私のこと、忘れたの?」
「すみません。ちょっと覚えてなくて。どちら様でしたっけ?」
「三年のときに同じクラスだった田中鏡子よ。映し出す鏡に、子供の子。本当に覚えていないの?」
 少しばつが悪くなり、私はごまかすように笑った。
「なにしろ二十年ぶりなもので」
 鏡子は不思議そうに首をかしげ、私の顔を覗き込んだ。
「記憶力のよかった松尾君が忘れるなんて、不思議だよね」
「おれのこと、覚えてるんですか?」
「当たり前じゃない。いつも学年で一、二番を争う成績で、有名人だったじゃないの」
 三年のとき同じクラスだった女生徒の顔を一人一人思い出してみるが、彼女の名前はどうしても思い出せない。
「田中さんですよね?」
「そうよ。田中鏡子。三年のとき、同じクラスだったでしょ」
 首をひねると、彼女は私の腕を軽く叩いて、拗ねたような表情を見せた。
「ひどいじゃない。忘れるなんて」
 同級生を装ってなにかの宗教に勧誘する宗教の類か、詐欺の一種ということも考えられるが、彼女の笑みからはそうした犯罪めいた匂いはしない。
 疑われていることがわかったのか、彼女は少し怒ったような表情で睨んだ。
「別になにか売りつけようってわけじゃないからね」
「いや、そういうわけじゃないけど、ちょっと記憶が混乱してて」
「じゃあ、松尾君は原田君のことも覚えてないの?」
 私は驚いた。
「君は原田を知ってるの?」
「当たり前でしょ。あなたのライバルだったでしょ。勉強もスポーツもいつも張り合っていたよね」
 原田は高校時代の私の親友だった。どちらかと言うと、同級生とは一線を画していた私とは違って、努力家で人望がある男だった。なぜか私とは気が合った。
 原田は私と同じ山岳部だった。私の父と原田の父親とは七条高校の同級生で山岳部のOBだったためか、原田の家にはしょっちゅう泊まりに行った。
 そのとき決まって原田の父親から父と母のことを聞かされた。
「晃一君のお父さんとお母さんは七条高校の同級生でな。とても仲がよくて、みんなが冷やかしたものだよ」
 そう言って、原田の父親は懐かしそうに目を細めたものだ。
 私の両親も七条高校出身だった。高校時代から付き合っていて、東京の大学に入学した年に二人は結婚した。しばらくして私が生まれたが、産後の肥立ちが悪く、母親は亡くなった。だから私は母親の顔を知らない。大学卒業後、父はすぐに七条に戻ってきた。
 父は母のことをいい女だったと、ことあるごとに自慢したが、原田の父親までからも、高校時代の両親の話を聞かされて、閉口したものだ。
 そんな父も昨年の暮れ、病を患って入院した。病床で父はもう一度高校の同窓会を開きたいと話していた。
 まもなく父は亡くなり、私は天涯孤独になった。
 そういえば、いま原田は七条に戻って父親の事業を継いで成功していると、東京に出てきた同級生が話していたことがある。
 鏡子が人差し指で私の胸を軽くつついた。
「その様子じゃ、私が山岳部のマネージャーをやっていたことも覚えていないんでしょ」
 山岳部にはマネージャーなんていなかったはずだ。
「君が山岳部のマネージャーだった?」
「そうよ。いつも原田君と張り合って危険なことばっかりやっていて。山崎先生はいつも怒っていたよね」
 それはよく覚えている。原田に負けたくなくて、お互い危険なコースばかり選んで、顧問の定年間際だった山崎先生によくたしなめられたものだ。
 彼女は昔を懐かしむように目を細めた。
「そのくせ二人はとっても仲がよかったのよね」
「あいつとはなぜか馬が合ったんだよな」
「ねえ、山岳部の初登山を覚えてる?」
 高校時代に胸を打たれた雄大な山の景色が、一瞬にして私の頭に甦ってきた。
「それは覚えてるよ。五月の緑皇山だろ」
 彼女が嬉しそうに頷いた。
「そうだよ。山岳部恒例行事の」
「赤崎駅からディーゼル車に乗って、だれもいない駅で降りて、うぐいすの声を聞きながら山に登ったんだよな。山頂からは海が見えて、最高だったよ」
 彼女は懐かしそうに呟いた。
「日柱山の登山も楽しかったね。山の上から見る黄緑色の七条平野がとても鮮やかだった」
 間違いない。彼女は同級生なのだ。たまたま私が忘れていただけだろう。そうでなければ彼女が原田や山岳部のことをそこまで詳しく知っているはずがない。
 それにしても、人間土壇場になると、過去の記憶の一部がすっぽりと抜け落ちることさえ、あるのだろうか。
 毎日毎日借金取りに追われて精神的に追い込まれ、先ほどまで私は自殺を考えていたのだ。記憶喪失気味になっても、不思議ではないかもしれない。
「なあ、高校時代の話をもっとしてくれないか」
 そう促すと、彼女は私の顔を見つめた。
「松尾君ったら、本当に忘れてたのね。いいわ。話してあげる。なにが聞きたいの?」
「高校時代のおれのことだよ。実は最近いろいろと大変なことがあってね。高校時代の記憶が一部分欠落してるみたいなんだ」
 彼女は納得したように頷いた。
「だからいろいろなこと忘れていたのね。松尾君は勉強もできてスポーツもできて、女生徒のアイドルだったじゃない」
「原田のほうがモテたよ」
 彼女がふきだした。
「そこは覚えているんだ。高校時代はあいつにだけは負けたくないって言っていたくせに、いやに素直に認めるのね」
「もう歳だからね。若いころのような情熱は残ってないよ」
 そして生きる気力も……。私は心の中でそう呟いた。
「なに言っているのよ。松尾君には高校のときから夢があったじゃない」
「おれに夢があった?」
「ええ、いつも語っていたじゃない。卒業したら東京の大学に進学して優秀な技術者になるんだって。できれば自分で会社を興したいとも言っていたでしょ」
 私はすでに高校時代から起業の気持ちがあったのか。そのときは若さゆえか、自分にできないものはないと信じていたのだろう。いまとなってはそんな高校時代の私に忠告してやりたいくらいの気持ちだが。
 鏡子が私の顔をいたずらっぽい表情で見つめた。
「でも、松尾君の一番の夢って覚えてる?」
「いや、全然」
 彼女は優しげに微笑んだ。
「みんなが定年退職して会社を辞めたときに同窓会を開きたいんだって」
「そんなことが、一番の夢?」
「ええ、このクラスの人間と再会して、全員で七条高校の校歌を歌いたいんだって」
「本当におれがそんなこと言ってたの?」
「そうよ。松尾君は三年一組が大好きだったでしょ。学級委員もやっていて、クラスのリーダー的存在だったじゃない」
「たしかに学級委員はやったけど、おれは別にリーダー的存在でもなかったよ。どちらかと言うとクラスでは浮いた存在だって思ってたし」
「そんなわけないじゃない。ちょっと負けず嫌いのところはあったけど、松尾君はみんなに好かれていたわよ」
 彼女の話を聞きながら、私は高校時代の自分に思いを馳せていた。たしかに高校時代の私はいまよりずっと純粋だったような気がする。少なくともいまの私のように、お金のことばかりを考えてはいなかった。
「文化祭が終わったあと、松尾君ったらカッコつけて全員にパンをおごるってなんて言っちゃって、丸子商店に行ったよね。でも、いざ支払う段になったら、お金が足りないって私に泣きついたでしょ」
 丸子商店は、七条高校の近くにあった駄菓子屋だ。
「そんなことあったっけ。全然覚えてない」
 鏡子がくすりと笑った。
「もう、都合の悪いことは全然覚えていないんだから」
 つい顔がほころんだ。
 彼女と話しているうちに、すさんだ心が徐々に癒されていくようだった。落ち着いた優しげな瞳で見つめられると、ささくれ立った気持ちが少しずつ穏やかになっていく。高校時代に戻って自分を見つめ直せたからなのだろうか。
 私が「田中さんはいま結婚してるの?」と訊ねると、彼女は謎めいた笑みを浮かべ、「ねえ、お腹空かない?」と訊ね返してきた。
 考えてみれば今日は朝起きてから、なにも口に入れていなかった。黙って頷くと、彼女は言った。
「じゃあ、丸子商店でサンドイッチを買ってくるから、そこのベンチにでも座って一緒に食べない?」
 財布を出そうとすると、彼女は「あとでね」と言って押し止め、身を翻して駆け出していった。
 どこか謎めいていて、それでいて心に安らぎを与えるような不思議な女性だ。なぜ私は彼女のことを忘れていたのだろうか。

 しばらく彼女を待っていたが、彼女は戻ってこなかった。
 腕の時計と睨めっこしながら、ずっと待っていたが、いつまで経っても彼女は現れない。不審に思っていると、胸ポケットの携帯電話が鳴り、どきりとした。
 まだここの電話番号は借金取りも知らないはずだが、とうとう突き止められてしまったか。おそるおそる通話ボタンを押して携帯電話を耳に当てると、同窓生の原田の懐かしい声が聞こえた。
「松尾か。いまどうしてるんだ。会社がうまくいってないって聞いたぞ。大丈夫なのか?」
 原田にまで会社の倒産のことが知れ渡っていたのか。ほっとしたと同時に、少しばつが悪くなり、私は「まあな」と言って言葉を濁した。
「なんでおれに相談しないんだよ。水くさいじゃねえか」
 原田の言葉は高校時代と変わらず、いっさい屈託がなかった。
「そんなことより、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ。おれたちのクラスに田中鏡子って女生徒はいたっけ?」
「田中鏡子? 聞いたことないな」
「聞いたことがない?」
「ああ。いなかっただろ、田中鏡子なんて」
「じゃあさ、おれが文化祭の打ち上げで、みんなにパンをおごったってのは本当か?」
「文化祭の打ち上げなんて、かったるいって言ってすぐ抜けただろ。おれとおまえで安酒買って、部室でこっそり飲んだことを覚えてないのか?」
「たしかにそうだったな。じゃあ、山岳部にマネージャーっていたっけ?」
 原田があきれたような声を上げた。
「おまえ本当にどうかしちまったのか。山岳部にはマネージャーなんていなかっただろ。野郎ばっかでむさ苦しいっていつも言ってただろ」
 やはり私の記憶に間違いなどなかったのだ。すると私が話していた彼女はいったい何者なのだろうか。
 黙って考えていると、原田が言った。
「いま後ろで親父が言ってんだけど、田中鏡子は親父の同級生にいたんだってさ」
「お父さんの? じゃあ、うちの親父やお袋とも同級生に当たることになるな」
「なに言ってんだよ。田中鏡子ってのはおまえのお母さんなんだってさ」
 そういえば母親の旧姓は「田中」だったと父親に聞いた記憶がある。
「でもおれの母親の名前は、京都の字の『京子』だったはずだけど」
「親父は、漢字までは覚えてないけど『タナカキョウコ』って言えば、おまえのお母さんじゃないか、って」
「じゃあ、さっき丸子商店に行った人は……」
「丸子商店? あそこはもう閉店してるぞ。ずいぶん前になくなった」
 そのとき私の頭にある考えが浮かんだ。
「親父さんにちょっと聞いてくれるか。親父が高校のとき、文化祭でみんなにパンをおごるって言ったことあるかって」
「ちょっと待ってろ」
 私のただならない態度になにかを感づいたのか、原田は言うとおりに従った。しばらくして原田の声が受話器から聞こえた。
「親父がよく覚えてたよ。カッコつけたくせに、いざ支払うときになって、お金が足りなくて、当時付き合ってたおまえのお母さんに泣きついたって。いま懐かしそうな顔して笑ってるよ」
「じゃあさ、親父たちが高校のとき、山岳部のマネージャーはおれのお袋じゃなかったかって聞いてもらえないか?」
 電話の向こうで原田と父親が話す声が聞こえたあと、原田が電話口に出て言った。
「ああ、そうだったそうだ。うちの親父とおまえのお父さんが張り合って、いつも顧問の山崎先生に叱られたんだって。山崎先生は覚えてるだろ。親父の代のときにも山岳部の顧問だったそうだよ。俺らの時は爺ちゃん先生になってたけどな。でも、なんかおれらと似てるな」
 私が黙り込むと、原田が不思議そうに言った。
「実はさっき女の人から電話がかかったんだ。おまえの会社がうまくいかなくて苦しんでるから、相談に乗ってあげてって。おまえの電話番号もその女の人に聞いたんだ。名前を聞いても教えてくれなかったけど、てっきりおまえの奥さんか彼女かと思って、あまり気にしてなかったんだけど」
「おれには妻も彼女もいないよ。会社が倒産して、みんなおれから去っていった」
 原田がいぶかしげに呟いた。
「じゃあ、電話の女の人はいったいだれなんだろう?」
 それは母だ。
 母は私が窮地に陥っていることを知って、あの世から助けに来てくれた。そして私の前に姿を現し、父の話を聞かせてくれたのだ。
 黙ったままでいる私に、原田がもどかしそうに言った。
「おい、松尾。聞いてるのか」
「ああ、聞いてるよ」
 原田に答えながら、私は晴れ晴れとした気持ちになっていた。
 やり直そう。
 何億借金があっても、また一生懸命働いて返せばいいじゃないか。お金はなくなっても、人生が終わったわけではない。私の人生はまだまだこれからなのだから。
「もしお金の件で困ってるんだったら、おれが少しくらい工面してもいいんだぞ」
「いや、おまえにだけは世話になるわけにはいかない。おれとおまえとは永遠のライバルだから」
「本当にいいのか?」
「ああ。おれたちの人生なんてまだ半分以上もあるんだ。いまちょうど五合目に登ったところで、麓まで転がり落ちてしまったけどな。また最初から一歩一歩踏みしめながら、登ればいいだけさ」
 電話の向こうで原田が「おまえらしいな」と言って笑った。
「それよりおれたちが六十歳になったら、絶対にクラス会をやろうぜ。全員出席必須の会だ。みんなで集まって七条高校の校歌を合唱するんだ。幹事はおれがやるからさ」
「どうした風の吹き回しだ?」
「天国の親父とお袋にも、校歌を聞かせてやりたくてな」
 ふと頬を伝って涙が流れていることに気づいた。
 何年ぶりに流した涙なのだろうか。もうすっかり忘れてしまっていたが、冷めきった胸の奥が次第に温かくなっていくような気がした。
 どこからともなく新緑の香りがした。その香りは優しくて、懐かしくて、私が忘れかけていたなにかを思い出させてくれるようだった。
 遠くに見える校舎のほうから、懐かしいチャイムの音が聞こえてきた。

(了)

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